私の好きなもの
                                    人権擁護委員  薦野 多恵子
「コレクション」という程のものではないがいろいろ集めるのが趣味といえば趣味である。
好きなものに囲まれていると幸せを感じる。ことに古いものはいい。骨董やの店先をのぞく時などわくわくドキドキしてしまう。この頃は、これ以上身の回りに物を増やさない!ためにも、また誰も一緒に喜んでくれないのでつまらないし、際限がないので自制している。
 ところが、先日思いがけないところで掘り出し物に出会ってしまった。神戸の湊川商店街でのこと。
ン?と目がいき、えっ!と脳が反応した。通路際にどうでもいいという感じで箱のなかに入れられていたこけしの一群をみつけたのだ。アメ色の木肌とにじんで薄くなっている描彩は経てきた年月の長さを物語っている。打ち捨てられたような様子がいとおしい。で、結果、私が連れて帰ってあげるからねとなるのである。店の主人は専門外だからとあまり熱心ではない。安い買い物であった。もって帰るのが重かったけど。
 20代の頃、東北に旅行して鳴子でこけしに出会い、その素朴さと由来の物悲しさに惹かれた。伝統こけしの産地は東北全域に広がっている。どれも同じようにみえるが、その顔も頭や胴体に描く筒模様もいくつものパターンがあり、系統がある。その伝統は身内や弟子入りした工人によって継承されてきている。工人たちは伝統の型を踏襲しながらも自ずと個性をしのばせ自分にしか描けない顔、模様を生み出し自分の型を創りだしていく。どれひとつとして同じ顔をしているものはない。まさしく
“みんなちがってみんないい”である。
 鳴子での出会いの後も1〜2回こけしをもとめて直接産地を訪ね、工人に会い、木地を挽くところや絵付けの作業をみせてもらった。どこも奥深い山郷で不便なところが多かったが懐かしい思い出だ。
 今回ご縁があって私の手許にきた
こけしたちは、またガイドブックを引っ張り出し、どこの誰の作かと工人名を探しあてては、しばし時間を忘れて夢中にさせてくれただけではない。30年前に集めたものたちとまるで古くからのなじみのようにしっくりと仲良く私の飾りだなにならんでいる。