平成20年度受賞作品
  市最優秀賞
           命は大切        篠山市中学校1年
人権という言葉を辞書で調べてみると、「人間が生まれながらに持っている、生命・自由・平等などに関する権利」と載っていました。そして『本当にこの権利は守られているのかな』とも思いました。
 僕は、身近なところで自分のことを考えてみました。僕は小学五年まではみんなと同じように生活をしてきました。生まれながら体は弱かったので病院にはよく行っていました。小学五年生の時、急に体に異変がおこりました。入院生活が始まり、そして病気との闘いがはじまったのです。薬での治療もしたけれど良くならず、手術をして元通り元気になれるのかと頑張ったけれどうまくいかず、顔もはれていつもの自分とはちがう僕になりました。でも生きるために、僕はもう一度手術をしました。そして今の僕があります。僕の体の中の一部が機能をはたさなくなり、障害をもつようになりました。それからは時間に制限される生活となり、今まで普通にできていたことも大変になってしまってとても悲しく思いました。『なぜ僕だけがこうなるのだろう』とも思いました。でもこれが現実。この現実と向き合っていかなくてはなりません。また僕だけではなく、家族も向き合わなくてはなりません。僕は、この生活に慣れるしかしかたがありませんでした。小学五・六年生の時は、病気がもとになった体の機能障害があることをクラスの人達には言えませんでした。「障害=はずかしい」と思っていたからです。今でもそう思います。
 僕がこれまでに読んだ本の中に、脳性マヒの人の一生が書かれた本がありました。生まれつき全身が不自由な、重度の障害をもった人の生活が書かれていました。行きたいところに行けば、世間の人から体の不自由な子供だと指をさされたり、ジロジロと見られて笑いものにされたそうです。まだまだ障害を正しく理解されていない世の中だと思いました。周囲の人が差別意識や偏見をもっていることによって「障害」というハードルはますます高くけわしいものになってしまうのだと思います。
 僕は見た目はみんなと変わりないですから体の中に機能障害があることがわかりません。だから障害のことを言わなくても生活できるのですが、中学生になり、いろいろな集団行動や集団生活をしていく中で、体に危険なことも増えてきました。そして、僕の体のことをみんなに言わずにおれなくなりました。僕と母と担任の先生で相談もしました。その時の先生の言葉がずっと今も気になっています。先生は「障害もその人の個性だと思う」といわれました。みんなに僕のことを知ってもらう方がよいと言われました。親と話し合い、みんなに少し話すことになりましたが、僕にはみんなの前で言う勇気がありませんでした。話したところで、みんなにどう思われるか、何か言われたらと思う不安でいっぱいだったからです。三ヶ月が過ぎて、先生からみんなに僕のことを少し話して頂きました。みんなにどう理解されたかは僕には、はっきりとはわかりません・・。僕自身も障害がその人の個性のひとつと思える日が来るといいなと思います。ありのままの自分でいられるように・・、障害を気にせず生きていけるように・・、そんな世の中にしていきたいと思っています。生きていてよかったと思える幸せを感じたいと思います。
 今の時代は無差別に人の命が失われます。誰でもよかったと言う思いで人を殺害する人もいます。命のことをいったいどう思っているのだろうかと、腹が立ってきます。むしゃくしゃしたからという理由になっていないと思います。また、いじめとかで自分の命を絶ってしまう人もいます。自分の大切な命を粗末にしていると思います。生きたいと思っていても事故や病気で生きられない人もたくさんいるのだから、その時はつらいかもしれないけど、もっと自分を大切にして生きていってほしいと思います。人間だれもがこの世に生まれてきた限り死んで行きます。でも、簡単に命を落としていい人なんかいないのです。悲しいことやつらいことがあってもそれを乗りこえて生きないといけなと思います。みんなが生まれてきてよかった、生きててよかったと思える世の中に僕達がしていかないといけないと思います。
 僕は、病気にも、障害にも、自分にも逃げないで頑張って生きていきたいと思います。