県奨励賞・市最優秀賞                   
   着がえられない                         
                             篠山市立西紀中学校3年  入江 晶子

 今年も黒田の夏祭りの日が来た。緑の短パン・胸に入江の刺しゅうのある半袖シャツ、いつもの体操服に着替え「よしっ!!さぁー行くぞ!」自転車で公民館に向かった。
 毎年、中学生はビール販売や金魚すくい等の手伝いをする。小学生の時は、ついこの前までは集団登校していた上級生が中学の体操服で手伝っているのを見て、随分大きく大人に見えていた。
 私はジユース配りやビール販売の手伝いをした。そこそこ仕事も落ち着いた頃、その場を離れた。私は今日、どうしても見たい所があったのだ。
 外のにぎやかさはなく、何の音も聞こえなかった。一つ目のドアを開けると外の暑さはなく、むしろ涼しい位だった。スリッパをはいて次のドアを開ける。私は少しの間そこを見つめた。当たり前だがそこには誰もいない。小さな空間があるだけだ。だが、去年この公民館のこのトイレで声がもれないようにタオルで口を押さえてヒックヒックと泣いている私がいた。去年も例年通り中学生は夏祭りの手伝いをする事になっていた。
ところが私には連絡がきちんと届いていなかった。その上三年生はいろんな事情で参加するのが遅れ、他の二年生もいろんな事情で不参加となり、結局私一人と一年生だけになった。
 体操服を着て、母に送ってもらった。公民館に一年生が集まって来た。なんとみんな私服だ。しかも私の目には結構おしゃれに見える。私だけ体操服、恥ずかしい! みんなと違う!! 恥ずかしい!!
 何か言われた訳でもなくそれだけの事なのに、その事が私を追いつめた。「ここに居たくない」。夏の暑さのせいだけでなく顔が体が嫌な暑さになる。それと反対に「居たくない!!居たくない!!」。心が小さく固く凍っていく。ついに私は逃げ出して、公民館のトイレに隠れた。「ここなら誰にも見られない」。 安心した私は涙が止まらなくなり、母の携帯に電話した。運転中なのか出ない。誰かに見つかったら・・・の不安と母とつながらない不安、不安だらけだが外にでられなかった。
 しばらくすると母から電話が入り私服を持って来てと頼んだ。私は裏から出て、ぐるっと公民館の裏をまわり、気付かれないように服を受け取り、トイレで着替え何もなかったように祭りに戻った。その後、みんなと楽しく遊んだ。家でもう一度母に「ありがとう」と言った。
 「そんなに泣く程悲しかったん?みんな違ってみんないいじゃあなかったん?おしゃれしたって、体操服だって晶子は晶子でしょうが!! ここはどんなになったって晶子でしょうが!!」。母は右手をグーにして左胸を二、三回たたいた。「黒人の人はどうなるん?みんなの皮膚が白いからって着替えられないよ!!」。
 「晶子だって、アメリカやヨーロッパに行ったら同じ事なんよ、着替えられない服を着てるんよ」。
 頭の中では、分かっていた事だった。勉強して分かっていたはずだった。「着替えれない服」人種差別、私と無関係だった言葉が胸に深く突き刺さった。私は私を差別したのだ。「不可侵、不可侵」この言葉を胸にずっと学んでいるのに自分で自分の人権を侵していたのだ。
みんな違ってみんないいと親に説教する私が服装が違うだけで私を否定した。私の事を一番よく知っている私が否定した。去年、私は私に完敗したのだった。
 誰もいないトイレで去年の私に出逢い、今年の体操服の私は言った。「服装なんてどうでもいいじゃない。私は私でしょ」。去年の私は消え、違う自分が生まれていた。去年の私と今年の私との出逢いは私を大きく変えた。「着替えられない服」この言葉は私の一生もんになった。
 「チェンジ」。アメリカ初の黒人大統領オバマ氏は人種差別を乗り越えた。「YES,We can」のスピーチはむしろ黒人だからこそ強く堂々と見え、みんなに感動を与えた。
 自分の着替えられない服を受け入れることでどんどん新しい自分に出逢えるのだと思った。
 私はこれからどどんな自分に出逢うのだろう。「不可侵、不可侵」この言葉を今度は胸に深く刻み込んだ。