県奨励賞・市最優秀賞                     
この夏の出来事
篠山市立今田中学校3年  市野 杏奈

 世界は、そこに生きるすべての者に食料をあたえてこそ、持続できる」この言葉は私が読んだ本の中にあったものです。人が生きていくために必要なものは、私たちも毎日口にしている食べ物です。
 私はこの夏休みにボランティアに行きました。そのボランティアとはディサービスセンターでつくってもらったお弁当を持ってお年寄りの人の家に行き、一緒に食べて交流を深めるというものです。太陽の日差しがきつい中、自転車に乗って行ったのは一人暮らしのおばあさんの家でした。汗をいっぱいかきながら、今までに通ったことのない道でどんな方が待っておられるのか、期待と不安を抱きながらおばあさんの家に向かいました。おばあさんの家に着いた時は、暑さのあまり体中の水分が出ていったようでした。
 おばあさんの家に着いて、しばらくしてから、つくってもらったお弁当をみんなで食べました。
私はたくさん動いた分お腹がすいていて、お弁当のふたを開けるなり「いただきます」と言ってすぐに食べ始めました。
 しかし、横に座っていたおばあさんの食べる気配がしなかったので、横を向いてみると、おばあさんは手を合わせていらっしゃったのです。その光景がとても不思議でつい見入ってしまいました。おばあさんはお弁当を食べる前に手を合わせて、目をつむって30秒ほどその状態のままだったのです。そんなおばあさんをみていて「本当に食べ物に感謝しているんだなぁ」と思いました。
 私は普段食べる前には「いただきます」食べた後には「ごちそうさま」とかかさず言っています。
 しかし自分の生活を思い返してみると、言葉をはっしているだけでおばあさんのように、食べ物に感謝しているとは言えません。
 そんなことを思いながら食べていると、横にいたおばあさんはお弁当のふたについた米一粒もおはしでつまんで食べていらっしゃいました。その時に「この一粒をつくるのに一年もの時間がかかるんよ」と教えてくださいました。 私はそれを聞いて言葉がでませんでした。今までに米粒を見てその一粒の奥の世界がどんなものかなんて考えたことがなかったからです。
 私たちは幸せです。毎日ごはんが食べられて、お腹がすいた時にはおかしを食べることができて。。。しかし、世界の国々では私たちが暮らしているように何も不自由がない国もあれば、料理に使うきれいな水すらない国だってあります。そんな国では、満足にごはんが食べられなくて食糧不足が人の命を奪っていくのです。人が命を落とす原因が寿命や病気ではない現状が今でも起こっています。
 世界中の人が幸せに暮らしていけるためには、私に何ができるか考えました。私はもっと食べ物を大切にすればいいと思います。私は給食をときどき残してしまいます。世界の中で食糧の不足によって命をも落としそうな人は、私たちが残したごはんを見てどう感じるでしょうか。
 「その一つまみでもいいから食べたい」と思うに違いありません。そんな人たちのことを考えることもないまま私たちは出された給食を残してしまうのです。「この料理は私の口に合わないから」とか「もうお腹がいっぱいで食べられない」という勝手な気持ちで食べ物を簡単に捨ててしまっていいのでしょうか。その残った分の食べ物で満足に食べられないでいる世界中の人々の空腹が満たされるとしたら、給食を残せなくなると思います。あたりまえのことだけれども、食べ物を大切にすることは、食べ物に感謝をすることにもつながると思いました。 
 この夏、一人のおばあさんに出会えたことで、私の食べ物に対する考え方が変わりました。世界中の中では食べ物を食べたくても食べられない人、きれいな水が飲みたくても飲めない人、好き嫌いなどで食べ物を選ぶことすらできない人もいます。そんな現状と私の生活を比べてみました。

 私は今、何でも食べられる環境にいます。だからこそ、もっと感謝の気持ちをもって食べ物を食べていきたいです。