県優秀賞・市最優秀賞
    おじいちゃんが教えてくれた事  
篠山市立篠山東中学校3年 田畑 麗香

 「あんな人等と話すん嫌やな」これが今までお年寄りや障害者の方に対する、私の想いでした。
自分でも酷い考え方をしているな、と思うほどでした。まさか自分のおじいちゃんがあんな風になってしまうとも知らずに。
 私には大好きなおじいちゃんがいます。両親の仕事が自営業だったので、小さい頃からそのおじいちゃん夫婦や、父方のおばあちゃんによく面倒を見てもらっていました。父方のおばあちゃんはもういないけれど、よく散歩やおばあちゃんの友達の所へ連れて行ってもらいました。しかし、その頃から可愛がってくれるけれど、お年寄りが苦手でした。上手く呂律が回らない為か、何を言っているのかよくわからなかったし、第一、何を話せばいいのかがわかりませんでした。
 でも今、私の大好きなおじいちゃんは「認知症」になっていて、何を言っているのかわからない時がある。それこそ、私の苦手なお年寄りと同じ状態になってしまっている。
 一昨年、「おじいちゃんが暴れてるから来てほしい」と、おばあちゃんから連絡があった。その時私は、「おじいちゃんが落ち着くまで待っていなさい」と母に言われ、車内で待っていました。これはおじいちゃんがおかしくなり出した最初のころの出来事。次に暴れたのは私の家でした。母が「車を運転させると怖いから」という理由でキーを隠していたのですが、どうしても車に乗りたかったらしく、ついには、石を窓ガラスに投げつけ割ってしまったのです。いつも私に優しくしてくれていたおじいちゃんの豹変ぶりに、私はどうする事もできませんでした。 
 その後、おじいちゃんは色々な病院や施設を転々とさせられました。入院した当時は元気だったおじいちゃんは、環境の急な変化の為か、他の患者さんと同じようにやせこけ、ベットから起き上がれない時もありました。自分の大好きな人のそんな姿を見てしまったら、誰だって涙が出てしまうはずです。
 私はおじいちゃんのガリガリにやせて骨がゴツゴツの手をそっと握り、「頑張ってネ」と声をかけてあげました。
私に出来る事はないのだろうか。。。少しでも役に立てないだろうか。。。。その日はずっとこの言葉が頭を支配していました。とは言うものの、私には介護の知識なんてないし、所詮私は無力なんだ、と思いしらされました。それでも私に出来る事くらいあるはずだ、そう思って毎日時間さえあれば考えていました。そしてついにわかったんです。とても簡単な事だけれど。私に出来る事。。。それは、ただ傍に居て話を聞いてあげて、優しく接する事でした。 おじいちゃんや私の家から病院はとても遠く、おばあちゃんは車の免許を持っていないので、逢える時が少なくなりました。だからこそ、会える時は沢山優しくしてあげます。 
 ある日、私と母とでおじいちゃんの元へ訪れた時、いつもなら私を見て母の名前を呼んだりするのに、その日は「麗香、来てくれたんか」と笑顔で言ってくれたんです。とても嬉しくて、涙が溢れ出しそうになる程で、その日はいつも以上に優しく接しました。 
 こうしておじいちゃんと一緒に居る事で、お年寄りの方や障害者の方への接し方が少しでもわかった気がします。そのおかげで、最近ではお年寄り方や地域の方々と上手く話せるようになりました。病院に行った時も、全く知らない患者さんにも話しかけられるようになり、その点ではおじいちゃんにとても感謝しています。こんなに大きくなるまで一緒に居てくれて、優しくしてくれた事にも感謝しているのですが、今回の事は感謝してもしきれません。
 おじいちゃんが私に教えてくれた事、それは「人を思いやる優しい心」でした。